リチャード・ファインマンとビル・ゲイツ
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ある秋の昼下がり,ゲイツは南カリフォルニアのアルタデーナ*1にあるファインマンの自宅にやって来た.ファインマンは一風変わった同居人を紹介している.1頭のウマ,2匹のイヌ,1匹のネコ,そして5匹のウサギだ.それぞれの動物の名前を呼んで,「調子はどうだい?」と話しかけるファインマンの横でゲイツがにこにこしている.

しばらくして,彼らは本がずらりと並んだリビングに落ちつき,話し始めた.

ゲイツ: 初めてコンピュータに興味を持ったのはいつのことですか?

ファインマン: 私は物理に対して興味をもつと同時に,つまりかなり早いうちからコンピュータに対しても興味をもつようになりました.高校で大英百科事典を見つけて,数学の計算機や潮の満ち引きを予測する装置,土地の測量をする装置といった,計算に関するありとあらゆる魅力的な機械について読んでいたのを覚えています.

ゲイツ: 物理をやるとき,コンピュータはどのように役に立ってきましたか?

ファインマン: 私が難しい問題を解こうとするとき,「私が計算できる量のうち,この物理系がどのように振る舞うか説明してくれるのは何か?」ということを考えます.この方法はいつもたいへん役に立つのです.光がどのように物質と相互作用するか?とか,どうして低温でヘリウムが奇妙な振る舞いをするか?といったことを考える際,いずれにしても私は定性的な説明ではなく「使える結果」に興味があります.私は実験的に検証可能な数字を持ち出すことによって,物理的に意味のある結果を獲得します.コンピュータはこの検証プロセスにおいて重要な役割を果たします.

ゲイツ: しかし師がおっしゃる計算というのは,我々の大多数が使い慣れているコンピューティングという言葉とは違っていませんか?

ファインマン: たしかに私が興味を持っている計算というのは,ほとんど物理的洞察と数学に基づいたものですが,コンピュータは大きな助けになります.(数学がいつも物理を助けてくれるということもここで付け加えておかないといけませんね)手計算では時間がかかりすぎるために科学者がやろうとしない大量の重要な計算を,コンピュータは実行することができます.時には人間が誰も考えたことがないようなアイディアを,コンピュータが示唆することさえあります.これは非常に面白いことです.最も深いところで自然がどのように振舞っているか理解したいと思っている人なら誰にとってもコンピュータは価値がある道具なのです.私は強くそう感じています.

ゲイツ: 1942年のことになりますが,師は他の科学者と一緒にマンハッタン計画に参加していました.デジタルコンピュータが登場するのは何年か先のことですが,当時「コンピューティング」と言うとどんな感じだったのでしょうか?

ファインマン: 足したり掛けたり割ったりするのが得意なマーチャント・アンド・モンローという会社のコンピュータがありました.(コンピュータと言っても,手動式の算術計算機なのですが)幅は1フィートくらい,高さは数インチというもので,色んな種類のレバーがのっていて,それらを押して計算ができるようになっていました.ところがこいつらがよくよく動かなくなるのです.何度も叩かれると,金属製の部品がすり減って飛び出してきます.こうなると修理のために工場へ送り返さないといけません.戦時中の切迫した状況だったので,そんな中断はとても受け入れられるものではありませんでした.そこで,仲間の何人かが自分で修理しはじめました.カバーを外して,直す方法を見つけようとしたのです.じき,私たちはこの修理が上手くなって,計算をすぐに再開することができるようになりました.

そのうち計算が複雑になり,マーチャントの計算機では全く追いつかなくなりました.IBMの機械を仕入れないといけなくなったのです.電子倍増管,タビュレーター,検孔機,穿孔機,選別機,照合機などです.当時はそれが最高の機械でした.私たちは自分でこれらを組み立てて,その後とても重要になる結果を得たのです.

ゲイツ: どんな計算をしていたのかにも興味がありますが…

ファインマン: 様々な形状の爆弾からどれだけのエネルギーが放出されるか計算ではじき出すということが最大の目標でした.そのうち私たちは現実の爆弾で使われることになる特定のデザインではどれだけエネルギーが放出されて,それぞれの場合にどれだけ核分裂性物質が必要になるかということにしぼって計算しないといけなくなりました.これはとても大変で,非線形の方程式などがいくつも出てくるのですが,私たちにはとにかく時間がありませんでした.実験屋が仕事をすすめるためには私たちの出す結果が必要だったので,(通常の物理学とは違って)彼らが手伝うこともできませんでした.今で言う並列処理の原始的な形態を使ってシミュレーションを行ったのです.しかし我々は見事やり遂げました.計算によって何が可能で何が可能でないかということが明らかになりました.たくさんの重要な結果をとても正確に得ることができました.

ゲイツ: 50年経って,戦時中の自分の取り組みをどう考えていますか?

ファインマンは悲しげになって,「ロスアラモスでは我々はやるべきことをこなしていました.始めたのも理由があってのことです.よく働きましたし,刺激的でした.戦争に勝つための爆弾を作る過程で,発見があり,発明もあり,科学と科学技術の限界を押し上げました.戦争には勝ちましたが,後になって我々の多くは爆弾そのものに対しては懐疑的になりました.考え直したのです.爆弾は独特の生き物のような様相を現してきました.ロスアラモスから戻ってすぐにコーネル大学で教えるためにニューヨークに来たのですが,レストランで座っているときに考え込んでしまったのを覚えています.ニューヨークが第二の広島になったらどうなってしまうのだろうか?と.身の回りのものは全て粉々に破壊されるだろう.生きているということ,そしてこれほどの創造性に何の意味があるだろうか?まったく無意味じゃないか.」

「この考えを振り落とすにはしばらく時間がかかりました.結局私は物理に忙しくなり,カルテクに移りました.まあこれは質問とは別の話になりますが.」

ゲイツ: それでは,コンピュータを使った経験についてはどうですか?

ファインマンの顔は少し明るくなった.「それについては何も考え直すことはありません」と返事をした.「ロスアラモスから持ち帰った知識の中核になっているのは,たとえ単純で原始的な機械を使ったとしても,重要な計算結果が得られるということです.そしてコンピュータは今やどんどんよくなってきているじゃないですか!」

ゲイツ: 私はちょうど『ファインマン計算機科学』を読み終えたところです.師がある章の最後に書いておられる「2050年までに肉眼では見えないようなコンピュータが出現するだろう!」という見解には好奇心をくすぐられましたが.

ファインマン: 私はその講義で,今日のコンピュータを使って我々にできることとできないこととは何か?そしてそれはなぜなのか?という基本的な質問に対する回答を考えていました.テーマのひとつは,コンピュータをどれだけ小さくできるか?というものでした.物理法則に起因する,大きさの物理的限界はあるのか?ということです.これをきっかけに,私は量子力学の法則に従って動作するコンピュータの性質を研究することになりました.もしも我々が原子数個分の大きさしかない,とても小さなコンピュータを作ろうと思ったら,古典力学ではなくて量子力学の法則を使わねばなりません.だから私は今で言う量子コンピュータというものを解析し始めたのです.人々は不確定性原理が足枷になると考えていました.つまり,例えば時間とエネルギーとの間の不確定性関係のせいで,コンピュータをいくらでも小さくすることはできないだろうということです.ところが驚いたことに,量子力学はコンピュータの大きさに対して,統計力学や古典力学による制約以上のものを何ら課さないということを私は発見しました.

ゲイツ: それでは,最小のコンピュータを作ろうとする際,「自然法則に依存する,避けられない限界が現れるかもしれない」と心配する必要はないのですね?

ファインマン: その通り.自然は古典論ではなく量子論に従うので,自然をシミュレートしようと思ったら量子的な法則に基づいて組み立てられるべきです.そして何も制約がなければ,確固とした基礎法則に頼ることができます.もちろん熱力学第二法則とか可逆計算の性能なども考慮しないといけませんが.

ゲイツ: そんなコンピュータのためのソフトウェアをどのように書けばよいのでしょうか?

ファインマン: それを考えるのは君だよ!私は自分の担当はやったからね!

笑い声が起こった.

ゲイツ: 講義ではシャノンの定理を3通りのやり方で導出していましたが(統計的,幾何的,物理的方法を使って!)あれはなぜですか?

ファインマン: 私は探検家で,自分で何かを見つけるのが好きなのです.私は全てのことをそうやって理解します.私は自分で作り出せないものには納得できません.ある定理や結果が既知だと自分で知っていた場合でも,それを自力で導出できたときに初めてそれを理解したということになります.これが私の知っている唯一の勉強法です.シャノンの定理の場合,導出に使ったそれぞれの手法から私はまったく新しいことを学びました.

「それに」ファインマンはいわくありげに声をひそめたのでゲイツは自然に身を乗り出しました.「一人の愚か者が出来ることなら誰にでも出来るでしょう!」

ここでさらに笑いが起こった.

ゲイツ: 師が講義の題材に選んだ符号化理論や通信理論,そしてシャノンの定理,量子コンピュータといったものは今や基礎研究のテーマですよね.私たちマイクロソフトの研究部門は年々大きくなっていますが,そこで重点的に取り上げられている内容はちょっと違います.なにより,「どうやってソフトウェアによって人々の創造性を高めるか」ということや「コンピュータをより使いやすく,利用者のニーズに応え,より自然なものにしていくにはどうすればよいか」,あるいは「話し言葉や文法を理解することによって,コンピュータが,人間の認知能力を高められるか」といったことに興味があります.コンピューティングのこれらの側面について何か興味はありますか?

ファインマン: もちろんあります.君が言うように,コンピュータを使いやすく自然なものにするツールはどれも重要です.物理学での私の仕事もその事実を反映しています.私はファインマンダイアグラムというのを開発しました.これを使うと,物理学者が六ヶ月もかかってやっていた複雑な量子力学の計算を一晩でできるようになったのです.これは私が勝利を感じた瞬間でした.何か価値のあるものを創り出すことに成功したと自分で気付いたのです.

だからもしも君がコンピュータの操作を簡単にすると同時に,知能分析における難しい問題を提起するような道具や製品を開発しようとしているのなら,私と同じように正しいことをやっていると言えるのです.

ゲイツ: 何か私たちが注意すべきことはありますか?

ファインマン: 作った道具が,解決したい問題より複雑化することは避けないといけません.

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訳註

  1. Altadena