サイエンスライターになるために
責任編集*1: Natasha Loder (科学技術報道員 @ “The Economist”)
著者: 英国サイエンスライター協会メンバー
翻訳*2: 市野 悠
これは英国サイエンスライター協会が発行するパンフレット:So you want to be a science writer?の冒頭部分です。
パンフレット*3とはいうものの、現場で実際に働く人々の手で何度も加筆修正されてきた文書です。実際的なジャーナリスト養成の過程を辿った本文は翻訳しませんが、冒頭の力強いジャーナリズム宣言とその分析は日本にない考え方で、翻訳すべきと判断しました。最新の改訂から何年も経っていますが、この部分は今後も普遍的な輝きを保ち続けると考えられます。
翻訳要請を快諾してくださったNatashaおよびPete Wrobel @ “Nature”の励ましに感謝します。また友人の平井洋一さんには翻訳のチェックをお願いし、訳文に関する的確なアドバイスをいただきました。
この仕事について
現状
情報革命を生みだし、インターネット上あるいはデジタル/ケーブル放送で、数えきれないほどの新しい雇用機会をジャーナリストにもたらしたという点においてこの十年間は記憶に残ることでしょう。メディアが成長・分裂するとともにこの傾向は持続していくように見えますが、同時に各メディアの受け手の頭数が縮小し続けるという側面もあります。ところが、新たなジャーナリズム専攻の学生数増加の傾向に雇い口が追いついていません。
ジャーナリズム専攻の学生が供給過剰という状態はメディアにいつもつきまとう問題です。具体的にこれを示しましょう。何らかの形でメディアに関わる仕事に就くことができる人数に対し、四倍もの学生がメディア関連の学校に入学許可されているということが、全国ジャーナリスト連合(NUJ)の統計から分かっています。“BBC”だけで、放送の仕事に年間八万のエントリーがありますが、そのうち採用されるのは全体で数千人です。
ありがたいことに、科学、技術、そして健康の問題は人々を魅了しつづけており、したがって全国紙地方紙を問わず人気を保っています。ここ数年は特にポピュラーサイエンス本や大がかりな科学番組が大人気です。ところが雑誌のほうは業績があまり芳しくないようです。知名度の高い科学雑誌が、ここ数年で三つも休刊に追い込まれました。その中にあって“New Scientist”は過去十年間で大きく躍進しました。しかしながら、新しい科学的発見の地平が次々と開けてくるのを見ていれば、科学、技術、およびそれに準ずるトピックに対して一般大衆の興味が衰えるかもしれないと不安を感じる必要性はないと言ってよいでしょう。
日々の生活で科学が占める地位が重要になると同時に、科学的な知見そのものがもの凄い勢いで発展し、また専門化の傾向にあります。こういった情報を理解し、平易に解釈し、伝達することができる人材が求められているのです。単なる情報伝達にとどまらず、難しい概念をベースにした素晴らしい話を紡ぎだすことができる人なら職にあぶれるということはありえません。
サイエンスライティングとサイエンスジャーナリズムの違い
サイエンスライティングとサイエンスジャーナリズムを区別する人もいます。大学や“The Welcome Trust”のような研究投資機関はよくサイエンスライターを雇います。その目的は彼らの組織が行う科学活動を宣伝するためです。サイエンスライターという名前から分かるように、これは科学に関する執筆業を意味します。いつもこの程度のことしかやってないサイエンスジャーナリストもたくさんいますが、本当のジャーナリストはもっと疑い深く、批判的な眼で記事のネタや科学者、科学コミュニティに接する能力を期待されています。“New Scientist”の前編集者Michael Kenwardはこれを次のように説明しています。「サイエンスライティングは、誰の秘密でもない難解な概念を解きほぐすことであり、サイエンスジャーナリズムは、誰もが理解できるにもかかわらず、埋もれたままにしておいてほしいと考える人があるような事実を暴き出すことである」と。もちろんライターという単語はどんな書き手にもあてはまる便利な言葉ですが、ここで重要なのはすべてのジャーナリストがライターである一方、逆は成り立たないという点です。
サイエンスライティングとサイエンスジャーナリズムの間にはもっと微妙な差異があって、それは受け手の側にかんするものです。サイエンスジャーナリズムは人々を楽しませるためのもの、という程度に思われることもあるのに対し、サイエンスライティングは世間に情報を知らしめるための活動という意味にとられることが多いようです。しかし程度の違いこそあれ、ライターもジャーナリストも、上のどちらもやらねばならないのです。
スペシャリストとジェネラリスト
サイエンスジャーナリスト(あるいはライター)になるには大きく分けて主にふたつのルートがあります。最近科学修了者に人気があるのは、はじめから科学に特化したジャーナリストとして訓練を受ける方法です。しかし、どんな専攻を卒業した人でも全般的なジャーナリストとして歩み始めることは可能です。次第にサイエンスジャーナリストに専門化していけばよいのです。どちらのルートをとるか決めるにあたってはいくつも考慮すべき点があるでしょう。
大成功をおさめたサイエンスジャーナリストはほとんどがスペシャリストとして出発しています。彼らはサイエンスコミュニケーションの課程をとったり、あるいは理工書出版のトレーニングを受けたりして、最終的には全国紙や全国放送で専門的なジャーナリストとして活動するということになるようです。しかしそれ以外の多くの人は(時には科学の学位なしに)地方紙の記者として何でもやるというところからはじめて、全国紙あるいは全国放送のほうへ異動していくようです。その過程のいずれかの段階でスペシャリストの素養を身につけるのでしょう。
これら二つのルートはかなり違います。どちらも優れたサイエンスライター、ジャーナリスト、放送人を生み出すにもかかわらず、メディアに身を置く多くの人は、ジャーナリズムという厳しい世界をくぐり抜けてきた人を評価する傾向があります。これは地方の記者として、その地域で起こった犯罪の話や地元スーパーの開店、それから最近家族に先立たれた人の家を訪問するということまでやってきた人のことを指しています。嘆かわしいことに、科学的なバックグラウンドをもったジャーナリストや、科学報道をしているジャーナリストに対する不信感のようなものさえあります。この不信感は、彼らが科学コミュニティーに偏っているのではないかというものです。
もしメディアでのキャリアを柔軟なものにしたければ、そして主流メディアで働く機会を欲するなら、科学の学位をとった後でより一般的なジャーナリズム教育を受けることを考えてみた方がよいでしょう。—段階的に科学的な話に興味の方向を向けていけばよいのです。ジャーナリズムよりも科学そのものに興味があるなら、専門的なトレーニングが好ましいでしょう。しかし早いうちから専門化するにしても、できるだけ長く選択の幅は広げておいて、他の仕事を排除してしまわないようにしましょう。“Tomorrow's World”のプロデューサーをやっているChris Riley(人の欄を見よ)は“BBC News”のビジネスコーナーで仕事をしている間にはじめて開花しました。彼はそこでビジネスの角度からいかに面白く科学を眺めるか考えることにほとんどの時間をつぎ込んだのです。
訳註
- 2002年3月公開第三版
- 2008年7月翻訳公開
- 日本では「パンフレット≈ゴミ」ですが、あちらでは思想伝達における重要な意味を伝統的に果たしているようです。コミュニティの質を維持し続けるのはそれなりに大変という訳です。