リチャード・ファインマンとビル・ゲイツ
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世界中で何万人もの若者が,次のビル・ゲイツになりたいと思っています.彼らが夢見るやり手の青年は,デジタル社会の到来を予見し,世界で最も成功している会社のひとつを作り上げ,財を成したのでした.資産を獲得しただけでなく,マイクロソフトの会長はソフトウェア産業の枠を飛び越えて,若者の心をつかむ文化的象徴にまでなってしまったようです.

しかしビル・ゲイツにとってのヒーローは誰なのでしょうか?彼はいったい誰を尊敬しているのでしょうか?

ゲイツはNew York Timesの特集に書いているコラムで,自分が敬愛する人物像を次のように説明しています.「何かぶっ飛んだこと*1をやってのける人や,並外れた個性をもっている人」と.その中でもある名前が頻繁に登場します.それが最近亡くなった偉大なノーベル賞物理学者のリチャード・ファインマンです.

ゲイツはファインマンとの対談を1988年に予定していましたが,その計画が実現することはありませんでした.ファインマンはその年の2月にガンで亡くなったのです.ゲイツは「その機会を逃して,残念に思っている」と1995年のTimesに書いています.「彼の本:『ご冗談でしょう,ファインマンさん*2』は私のお気に入りです」

ファインマンがヒーローだった理由は,ゲイツによると「彼は大変啓発的で,何でも一人で考え抜くことができた.自分から新しいことを理解しようとする,才能ある教師でもあった.彼について書かれたものや彼自身の著作はどれも楽しんで読むことができた.私は彼を心から尊敬していた…」ということです.

1964年にファインマンはコーネル大学で連続講義を行いました.その初回のタイトルは『物理法則はいかにして発見されたか*3』です.話題は物理法則にみられる対称性,因果性,不確かさから,物理学者が新しい法則を模索するために使うテクニックに至る幅広いものでした.一連の講義はたいへん質の高いものだったということで,よく知られています.ゲイツによると「私は何十年も前にファインマンがコーネルで行った物理の講義のビデオを持っている.私がこれまでに見たどんなテーマの講義よりも素晴らしいものだ.彼は自分の熱意と明快な思想をエネルギッシュに,また説得力のある言葉で聴衆に伝えた」

CIOマガジン1997年9月のインタビューで,ゲイツは「晩餐会を開くとしたら誰を招待しますか?」と尋ねられて,アインシュタインやレオナルド・ダ・ヴィンチとともにファインマンもそのリストに名を連ねました.

『ご冗談でしょう,ファインマンさん』や『困ります,ファインマンさん*4』の人気のおかげで,彼が亡くなった当時,ファインマンは誰もに愛される物理学者になっていました.これらの本は彼の友人で太鼓仲間でもあったラルフ・レイトンが,何年間にもわたって録音されていた対話のテープを起こしたものですが,これによってファインマンは物理学者としては未踏の大人気を獲得しました.アルバート・アインシュタインとかエンリコ・フェルミという例外はあるかもしれませんが.

62年から63年にかけて,カルテクの学部生に向かってファインマンが行った一連の講義:『ファインマン物理学』は今や古典となりました.(講義がはじまったいきさつについてはファインマンの同僚であるマシュー・サンズが2005年4月のPhysics Todayに書いた信頼のおける記事*5を参照してください)1986年,チャレンジャー号の爆発を調査するためにロジャース委員会に指名されたときに,ファインマンの名声はますます高まりました.テレビ放映で,Oリングが氷点下で弾性を失ったことがチャレンジャー号の事故の主要な原因だということを説明する劇的なデモを行ったことで,彼は国民的英雄となったのです.物理学者フリーマン・ダイソンは彼の実演を絶賛して,「大衆は科学というものがいかにして行われるかを自らの目で見たのだ.優れた科学者がどうやって自分の手を使って考え,科学者が明確な質問を投げかけたときに自然がいかにはっきりと応答するかを」

彼が1988年に亡くなってから,ファインマンの伝説は膨らむばかりでした.出版された何冊かの本を列挙しますと,『ファインマンさんの愉快な人生*6』,『ファインマンの思い出*7』,『ファインマンさんは超天才*8』,『太鼓の音色に身を任せ*9』,『ファインマンさん,力学を語る*10』,『科学は不確かだ!*11』,『ファインマンさんベストエッセイ*12』,『ファインマンさん 最後の授業*13』,そして『ファインマンの手紙*14』があります.

ファインマンは広告看板にまで登場しました!アップルコンピュータが有名な科学者,アーティスト,人道家などにスポットをあててThink Differentというキャンペーンを始めたとき,あえて人とは違う太鼓の音色に身を任せた人々を待ち受けていた巨大な見返りの例として,アップル社はアインシュタインとガンディーを選びました.しかし「ファインマンが彼らにひけをとるなんてことがあるだろうか?」と私は考えていました.

98年の11月,私がサンフランシスコのミッション地区を運転しているとき,よく知っている顔が突然目に飛び込んできた.*15彼は見覚えのある微笑みで,通勤者に何かの不思議について考え込ませようとしていた.(私にはそれが何か分からなかったが…)その写真には,Thinking Machineという会社(ボストンに籍をおく会社で,ファインマンは1983年にしばらくコンサルタントとして働いていた)*16の企業Tシャツを着たファインマンが写っていた.そのTシャツにはConnection Machineの図がプリントしてあるのだが,それはハイパーキューブ型で,彼がThinking Machineのためにデザインを手伝ったものだ.(これは『困ります,ファインマンさん』の表紙に使われているのと同じロゴだ)そして99年の4月にはそのファインマンが,私の住んでいるシリコン・バレーにもやってきた.サウス・ベイの101号線を運転していれば,必ずカリフォルニア工科大学で量子力学を教えているファインマンに会うことができた.黒板の前で行列や微分方程式を書いている写真だ.カルテクの文書館によると,その写真は1963年の5月2日,彼の「物理学講義」の学期に撮影されたものということになっている.(ファインマンはシリコン・バレーにたくさんのファンを抱えているので,アップルが5ヶ月後に彼をiMacの看板と交換したときには,みんながっかりした)

しかし,ビル・ゲイツがいちばん喜んだのは『ファインマン計算機科学*17』と,『ファインマンとコンピュータ*18』が出版されたことでしょう.前者はファインマンが1983年から1986年にかけて「計算機の可能性と限界」と題する学際的コースの一環としてカルテクで行った講義録です.後者にはファインマンの学際コースに呼ばれた著名なコンピュータ科学者と物理学者による文章が収録してあります.そしてファインマンによる,計算機物理の将来を見通したような記事There's Plenty of Room at the Bottom (1959!)とSimulating Physics with Computers (1982)の再版も収められています.これら二冊を読んだ人なら,物理学講義とほとんど同じくらい,計算機の講義が時代の変化を超越したものになっていたのが,ファインマンの洞察と創意によるということに同意するでしょう.

そして今や,ファインマン自身の37セントの第一種郵便切手まであるのです!*19アメリカ郵便公社は4人のアメリカ人科学者を表彰しました.物理学者リチャード・ファインマンとジョシア・ウィラード・ギブス*20,数学者のジョン・フォン・ノイマン*21,そして遺伝学者のバーバラ・マクリントック*22です.記念切手は2005年の5月4日に発行されました.ファインマンの切手は,この物理学者の30代の姿が紛れもないファインマンダイヤグラムで装飾されたものになっています.この切手はラルフ・レイトンの何年間にもわたる運動の努力のおかげで実現したもので,2005年の5月11日に,彼はニュー・ヨーク市ファー・ロッカウェイ*23のファインマンが育った近所にある郵便局で祝賀会を開きました.同じ日に,その郵便局から2ブロック離れたところにあるファインマンが住んでいた通りは,彼を讃えてコルネガ通りから「リチャード・ファインマン通り」に名前を変えました.この日付もわざわざファインマンの誕生日に合わせて5月11日にしてあります.

ゲイツがファインマンに会うことはありませんでしたが,この二人の対談を想像するとわくわくしてきます.今,切れ者の青年が瞳の大きな弟子に変身して,アイディアや洞察に富んだ師の能力に驚き,ファインマンだけがもっている魔法のような才能の源に思いを馳せます.そしてファインマンは計算機の現状をどう感じるのでしょうか?その未来をどのように夢想するでしょうか?ソフトウェアが構造から飛躍的に進歩することはすぐにでもありうるのでしょうか?どこに限界があって,それはなぜでしょうか?

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訳註

  1. 真に新しいこと,誰にもできないことを指す.
  2. Surely You’re Joking, Mr. Feynman [原書, 訳書]
  3. The Character of Physical Law [原書, 訳書]
  4. What Do You Care What Other People Think [原書, 訳書]
  5. Feynman's Tips on Physics: A Problem-Solving Supplement to The Feynman Lectures on Physics [原書, 訳書]
  6. Genius: The Life and Science of Richard Feynman, (James Gleick, 1992). [原書, 訳書]
  7. Most of the Good Stuff: Memories of Richard Feynman, (American Institute of Physics, 1993). [原書]
  8. No Ordinary Genius, (Christopher Sykes, 1994). [原書, 訳書]
  9. The Beat of a Different Drum, (Jagdish Mehra, 1994). [原書]
  10. Feynman’s Lost Lecture: The Motion of Planets Around the Sun, (W.W. Norton, 1996). [原書, 訳書]
  11. The Meaning of It All, (Helix Books, 1998). [原書, 訳書]
  12. The Pleasure of Finding Things Out, (Perseus Books, 1999). [原書, 訳書]
  13. Feynman's Rainbow, (Leonard Mlodinow, 2003). [原書, 訳書]
  14. Perfectly Reasonable Deviations from the Beaten Track: The Letters of Richard Feynman, (Edited by Michelle Feynman, Basic Books, 2005). [原書, 訳書]
  15. 実物はFeynman Onlineで見ることができる.
  16. このあたりの裏話についてはスティーブン・ウォルフラムの回想を読んでみるといいかもしれません.
  17. The Feynman Lectures on Computation, (edited by Anthony J. G. Hey and Robin W. Allen - 1996). [原書, 訳書]
  18. Feynman and Computation, (edited by A. J. G. Hey - 1998). [原書]
  19. 実物はFeynman Onlineを見よ.
  20. Josiah Willard Gibbs
  21. John Von Neumann
  22. Barbara McClintock
  23. Far Rockaway